父は戦前生まれ
が関係しているかは分かりませんが
食に関しては貪欲でした。
小学生の頃、町医者の誤診で足に障害を持ち
なおさら楽しみが「食べる事」に
集中してしまったのかも知れません。

不摂生の鬼
ヘビースモーカー・下戸の分甘い物好き、
一切野菜を口にせず、常に肉料理中心。
よく一人で外食もしていました。
ちなみに心筋梗塞で運ばれた事数度。
片側の腎臓と胆嚢も切除しています。
糖尿や高血圧の薬を飲みながら
好きな食事はやめませんでした。
祖母も同じように、医師の言葉より
「自分の欲」を最優先です。
子どもの僕にとって、それは
“わざわざ体を壊す選択をする”という事が
ただただ不思議でなりませんでした。


やりすぎ管理
一方で母は、父の食生活を反面教師として
僕に厳しい食のしつけを課しました。
甘いものは控える、揚げ物を避ける
冷凍食品はもとよりスーパーの惣菜もダメ。
カップラーメンなどもってのほか
清涼飲料水・飲料コーラは歯を溶かす。
親の教えを守り
友達の家で出されたコーラを
飲まずに捨てた事もあります。
やりすぎでした。
今になって振り返ると
その“やりすぎ”でさえ
僕の中に「食べ物の選択」
を深く刻む伏線になっていたのです。

調整・調和
父の「欲のままに生きる姿」
母の「制限で縛りつける姿」
その両極を見続けた結果
僕は自然と「調整・調和」
という発想に行き着きました。
たとえば食べすぎた翌日は量を減らす、
体を動かさなかった日は食事を軽くする。
我慢・努力ではなく
ごく自然にそれが身につきました。
この調整の感覚は、やがて
そのままファスティングへとつながります。
食欲という感情と、栄養を摂るという行為を
切り分けて考えられるのは
幼い頃から積み重なった“伏線”のおかげでした。
だからこそ、僕にとってファスティングは
苦行でも挑戦でもなく、ごく自然な流れ。
むしろ「やっと点と点が線でつながった」
と感じる瞬間だったのです。
父の病・母の厳しさ、僕自身の葛藤も
「ファスティング」という形で
伏線が回収されたのかな、と思う今日この頃です。

なお、ファスティングに関して
私は有資格指導者ではありません
詳しいことは専門家に委ねています
私が信頼して指導を受けたのは
石川県金沢市で治療院を営む
**今村 宜滉 (いまむら よしのぶ)先生** です
[今村先生 Instagram]
(https://www.instagram.com/yoshinobu.i6)
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